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2009-02-28

すっきりしない気持ち

折角開設したブログに何も書かない日が続いています。私の部屋の“つぶやき”の箱には、毎日のようにメモが入りますが、締め切りを過ぎた原稿等に追われて、後回しになっています。その一つについて、政府の来年度予算案が衆議院を通過、すっきりしない内容とすっきりしない決まり方に、すっきりしない気持ちで書きます。

先月になりますが、私にとって大事な食生態学研究・実践の仲間であり、教え子の一人でもある針谷順子さんの高知大学教授としての最終講義を聴きに高知に行きました。農村地域で新鮮な農作物との身近なかかわり、自然から距離がある東京で調理学と食生態学の研究を経て、荒い海、清らかな川と深い里が融合しているような“高知”ですすめた、31年間の研究・教育活動について、一つずつ振り返るような最終講義でした。不思議な心境で、自分自身のその時より、緊張して聴きました。

会場を出る時、やや興奮気味の学生同士の会話です。
“後は誰が担当するのかな”
“誰も来ないんだって。家庭科教育って、今大事なのに。そして、食育がとても大事なのに”
“それはおかしいよ。俺は、針谷先生の授業で、食事って大事だって実感して、目が覚めたんだ”
“専任の教員が来ないなら、あの実習室はどうなるの? 古い建物なのに、きれいで、必要な道具は必要なところにあるし、よく磨かれていて使いやすいし……。入ると、オーロラみたいなものが漂ってきるのに。だめになっちゃうよな”
“仕方がないよ。大学の方針だから。国の方針だから……”
私も同感で、思わず二人のなかに入ってしまいそうでした。

人間らしく生きるために、食が大事、日常的な生活の中での実践が大事、それを家族や友人や仲間やそして学校教育の中でしっかり伝えていくことが大事と、内閣府、厚生労働省、農林水産省、文部科学省等国を挙げて、食育が展開されています。その中で、地域性を最大に生かし、実践を重視し進めてきた食教育のメッカで、積み上げてきた、質の高い食育学習の場が継続できなくなる。

国でも地方でも食育関連の新規予算で、にぎやかなイベント開催の経費は計上されやすいのに、何十年もこつこつと積み重ねてきた“食”の基本を学ぶ場が主人を失い、無くなっていく。悲しいかな私は二人の学生の熱っぽい会話を聴いても、かげながら憤慨するだけでした(若い頃の私なら二人といっしょに、動き出したかもしれませんが、それも出来ずに)。

言いたいことは、ささやかなことですが、きちんと乾わかして、衛生管理の行き届いたまな板、包丁、布巾、はし、食べ手に合わせて大きさを吟味し、地域の文化性を重視して選び、使いこんできた食具類等数え切れないほどの道具や設備システムがあります。少なくともこの二人の学生たちにはそのひだの深さが通じていたんですね。うれしい気持ちでした。

食べる人(びと)優先で使い込まれてきた道具類や実習室が育ててきた学生たちの食事づくり観(道具観も)形成を含めて、針谷順子の“高知での31年”に敬意を表したのでした。

国家予算の枠組みは決まるでしょうが、各地域の各部署でのその運用に、ぜひ、全国各地で、誠実に、展望をもって積み重ねている教材や設備やシステムを充分に活用して、次の世代へとつなげる教育・研究環境づくりをしてほしいと願います。

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