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2023-11-01

信濃毎日新聞掲載「扇田孝之氏の書評」が活動仲間の「書評」の書評交流で 「共食と孤食」論を動かし初めている

異色の地域社会活動家扇田孝之氏から「共食と孤食 50年の食生態学研究から未来へ」(以下、本書)の書評紙面をいただき、冒頭の引用句、シオランの「祖国とは、国語だ。……」に釘付けになってしまいました。

「食生態学」出発当時から「栄養素摂取優先の栄養指導」から脱皮したいともがく中、日常の食事時の会話が会「話」というより、会「感」や会「体」の感じが強いなど、他の生活行動とは質的に異なることに特長があるのに、うまく説明ができず、適した表現を探し続けてきましたので、立ち止まってしまった感じです。

そう、「祖国とは、国語! 日常的な営みの食事は国語の中でも『方言』、そしてそれぞれの家や仲間との食事は家や仲間との営みがしみこんでいる『家ことば』『仲間コトバ』?」など、考えめぐっているうちに、お礼メールを仕上げないまま、朝になりました。

翌日、驚くことに扇田氏から、早速友人からメールがきましたと、次の2本(以下、A氏、B氏)が転送されてきました。文中から察するとA、B氏ともまだ、本書の実物を見ていない、読んでくださっていないので、いわば、扇田氏の「書評」の書評でした。まるで、隅々まで読んだ結果、書いてくださったように、本書の課題を直撃する内容で、私は驚き、感謝した次第です。

 

A氏から

扇田さんの書評拝読しました。

ラウム山荘の食卓を思い出しながら、人生の大切な時間を食卓での会話に費やしてきた扇田さんでないとかけない書評ですね。

祖国とは、家族とは、友人とは、豊かさとは、つまり生きていくということは「食卓での会話」なのかもしれません。そんな気がします。

最初、小説「共食い」の書評かと思いギョッとしたのですが、未来をどうつくり、豊かな社会をどう作って行くか、それを教えてくれる書ということですかね。

読んでみたいと思いました。

 

B氏から

今日の信毎の書評を読みました。

「シオランの一句が浮かんだ。『祖国とは、国語だ。それ以外の何物でもない』」 → こんな風にさりげなく先人の言葉を引用できるようになりたいものだと思って読んでました。

「三陸町に『おずおず』と入る」 → 切り取り方がうまいなぁと思って読んでいました。

—-が、寒くなったので屋外水槽のメダカと川エビを屋内水槽に移さないと—-と気持ちが急いて、今日に限って評者を確認しませんでした!!

ということで遅ればせながら、扇田さんの書評だと確認しました。

著者たちは避難所では「共食」がよいとして活動してきたとのことですが、「『共食=善、孤食=悪』と捉えかねない表現が気になった」と評しておられることに共感します。

去年まで4年間、町会の災害時の避難所の運営委員をやっていました。

町会に3カ所ある避難所のうちの小学校の体育館を担当していて、ここに何百人も避難してきたらプライベートもなにもないだろうなぁと思いながら避難訓練をやっていました。

避難所では最初は「見知らぬ人たちとの共食」が安心感をもたらすでしょうが、時間が経つにつれて「家族だけの共食」あるいは「家族がいても孤食」を望むようになるのではないかと思いました。

学校のトイレでの「孤食」が言われて久しいですが、これからどうなっていくのか。

 

扇田氏の日常の生活や社会活動と今回の書評の内容の重ね合わせから、扇田氏が扱った視界を超えたこだわりも浮き彫りになり、広がりもでき、私自身のこだわり「肝心なこと」にズバリつながって、深い議論が続きそうで、驚きと感謝です。

B氏の後段、災害地での“共食”の扱い、その基になる「共食・孤食」の概念の共有をめぐる課題の大きさも見えてきました。

本書(p215)では、大震災発生初期の緊急避難的緊急支援と、復旧・復興・新しい自立力を持つまちづくり・一人ひとりの生き方づくり……のための長期にわたる、段階をふんだ「食からの支援のあり方」の各特徴に対応した検討・計画の必要性は多くの人が発言しています。この時、前半の緊急避難的緊急支援の「食物提供」優先期の食支援と、後半の生活復権・地域復権・これらの住民主体・当事者主体の「食からの支援のあり方」とは異なること。前者は後者の方向・ゴールの共有なしには持続可能な支援は難しく、受け身一方になる心配もあること。

東日本大震災の発生直後、「私たちで、できることがあったらさせてください」と申し出ると、町の保健センター管理栄養士から「支援してほしいことは、町の人たち一人ひとりがこれから生きていく力を持つこと。ただ生きるだけでなく、家族や地域の人々と一緒に健康に生きる力を持つようになることです。どうしたらよいか悩んでいます」という勇気ある要請でした。これこそ、「食生態学」実践の目指すところであり、国内外の実践を積み重ねてきたグループ力を発揮できることです。共有するプロジェクトの名前を「からだ・心・くらし・地域・環境にぴったり合った食事づくり共食会」と名づけたのでした。

この時の共食は、共「食事を食べる」だけでなく、共「食事を作る」・共「食情報を交流する」(これらは切り放ちがたく連動し、循環しているから共「食行動」と呼んでいい)・共(食環境づくり:フードシステム⇄食情報システム)。これらを総括した共「食」の視野・視点であることは、言うまでもありません。

これからの世代の人々が計画し、前に向かう“避難訓練”こそ、本書の6章で提案している「共食の地球地図」にマッピングしながら、関係者で頭を寄せ合いながら答え探しをする宿題をいただいた感じです。

冒頭に、異色の……とかきました。その一つの例です。ラウム荘は地域の人、学生、国内外の著名な文化人や社会活動家たちが語り合うなどの拠り所のような山荘ですが、食事は宿泊客も扇田家族も一緒に食べるとのことです。